こんにちは。ギボンヌです。
私は縄文大工のjomonさんのプロジェクトを応援しています。
それは「47都道府県の子ども達と巨大丸木舟を作るプロジェクト」です。
Jomonさんこと雨宮国広さんは、巨大な杉の命を手作りの石斧でいただき、全国の皆んなで協力して丸木舟を作り上げます。
それは人間が道具を持つことの意味を考え、地球上の全ての生き物が楽しく仲良く面白く暮らせる、暮らし・ものづくりとは何かを子どもたちと共に考えてゆける場を作るためです。
今回はそんなJomonさんをなぜギボンヌが応援したいと思うか?について書いてみたいと思います。
私が縄文大工のJomonさんの活動を応援するわけ
私がJomonさんのプロジェクトを応援する理由は3つあります。
縄文が好きだから
私は縄文が好きです。
なぜかというと、おそらく縄文は自分の魂?を辿るとそこに繋がると思っているのだと思います。
日本列島に住んでいるモノとして、私は「日本」よりは「縄文」であり「日本列島」という島、土地に繋がりを感じているのだと思います。
縄文時代は争いがない時代だったといいます。
高度な技術を持ち、アーティスティックでありながら、争わずに人や動物や虫など全ての自然と調和して生きていたと言われています。
とっても昔のことなので、事実はもちろんわかりません。
けれども、日本人の根底にあるものが、どうも、そういうものがあるように思うのです。
弥生時代には大陸からの侵略もあり、縄文は薄くなってしまったと思います。
江戸時代には再び争いのない時代がきましたが、明治維新に入り、再び外国が入ります。
そして、大東亜戦争の後にもです。
何重にも外からの文化や教育がはいってしまった日本列島はもうほとんど縄文など残っていないという状態だと思います。
弥生時代には偉い人には古墳というシンボルを作っていたりしました。
エジプトのピラミッドと同じで、私にとっては気持ちが悪い社会です。
偉い人に庶民が管理されるという形です。
その偉い人ももっと偉い人に管理されています。
欧米の文化はそうですね。
まさにピラミッド型の社会になりました。
お父さんが偉い?社長が偉い?
偉くなった方がスゴイ?
そして、競争の社会になりました。
でも、なんでしょう。日本の国民性というのはなにかあると思うのです。
暴動を起こさない。
意見を言うのが苦手。
みんなと同じことをする。
そんなことを外国から言われても変わらない根深いモノはもしかすると縄文時代からこの土地のエネルギーとして脈々と受け継がれているものなのかもしれません。
私は幼稚園のときのかけっこで「なぜ競争させられなければいけないのだろう」と思ってから、競争が嫌いだと自認しています。
だから縄文時代の横並びで管理ではない社会のイメージが心地が良いのかもいれません。
Jomonさんの笑顔をみていると、やはり縄文のエネルギーが濃い気がするのです。
宮大工をされていたような人が、偉そうにもしないで、あの笑顔であんなに人に頭を下げるのです。
ニコニコと。
私は、どうやら縄文的な社会や人との繋がりが好きだと感じているようなのです。
みなさんはピラミッド型社会が好きですか?
このピラミッド型の社会が繁栄しようとして、大量生産大量消費してきたことが、もう頭打ちで、終止符が打たれる時がきているのではないかと思っています。
その時にJomonさんと学ぶとこということがとても大切なことだと思ったのです。
子供だけではなく、大人が学ばねばいけないと思っているのです。
裸足のJomonさんが好きだから
私はJomonさんが好きなようです。
それは縄文的なエネルギーが湧いてるからです。
といっても、私はJomonさんのことを深くは知りません。
お話を一度聞きに行って、一方的に姿を見ただけなのです。
でも、百聞は一見にしかずとはよく言ったモノです。
生でみて感じてみると、さらにそのエネルギーを感じるのです。
嘘がないな、と思いました。
Jomonさんは裸足で生活しています。
裸足で生活するということは、丸腰も超丸腰だと思うのです。
嘘がつけないのです。
Jomonさんのカラダをみてもそれはわかります。
裸足で、道具を使えるカラダであることは、そのカラダをみればわかってしまうのです。
私はマンサンダルで生活しています。
マンサンダルや裸足の人のカラダをよくみています。
マンサンダルや裸足で生活している人たちのカラダは、共通しています。
調和しているのです。
自分のカラダが調和していて、自然との調和を感じられるのだと思うのです。
私はJomonさんという存在が心地よいです。
無条件に、好きだと思うのです。
今必要な学びだから
私はここ数年、土や菌のことを学んできました。
その中で、思ったことがありました。
「もう、転換していかないと先に道がないなぁ」
ということでした。
私はバブルの体験はしていませんが、バブル崩壊しても、バブルの名残を感じて、その流れの中で生きていました。
物を大切にする時代と、モノに溢れて使い捨てにする時代を跨いで生きてきました。
それもある意味では貴重な時代をいきたと思っています。
だからこそ感じるものがあるのです。
「このまま進んではいけない」と。
私は「カラダ活動家」と名乗っているのは、自分という最小単位の活動ならできるとおもったからです。
大きなことはできません。
人に働きかけるようなこともできません。
ただ、自分が動いて感じることしかできません。
Jomonさんは全国の子ども達に伝えていきたいと思って動き出す情熱がありました。
私にはないチカラです。
私はJomonさんのようなことはとてもできません。
でも、それはとても大切な学びだと思っています。
Jomonさんは宮大工としても、縄文大工としても優れています。
それに、素晴らしい絵も描くし、紙芝居ではスゴイ演技もするし、とても多彩な方で驚かされます。
でも、そんな多彩でも、企画を立てて年単位で動いていくことは、並大抵のことではないと思います。
粘り強さ、辛抱強さ、体力だって必要です。
本当になかなか真似できることではないと思います。
お金がかかることだから、企画のプロが全部を取り仕切っている、というわけではないのです。
だから、いく先々でいろんな思いがけないトラブルも起こるでしょう。
そこまでしてでも、伝えたい思いがあって、動いてしまえることは本当に他にいないと思いました。
今必要な学びについて、個々も含めて世界中の人が動いていると思います。
私のような活動は1人でできますが、Jomonさんの活動はみんなでしかできないと思います。
2023年1月現在は京都の開催が終わり、東日本の丸木舟体験ができたことになります。
後半戦の資金が実はまだたりないそうです。
エッ。そうなの?
足りないのにスタートしたの??
驚きでした。
西日本は、このままでは資金不足で回れなくなってしまうということ?
沖縄に辿り着けないの?
それは待っている子ども達がいるのにあまりにも残念なことになってしまいます。
だから、私にできることをやっていこうと思いました。
私にはブログがありますから。
私が縄文大工のJomonさんの活動を応援するには
Jomonさんの活動を応援するには
一に寄付
二に寄付です。
Jomonさんに寄付するのは3000円からできます。
是非よろしくお願いいたします。
私は、2回目の寄付をするに向けて、すこし考えていることがあります。
ただ、お金をだせばいいというのはどうかとおもうので。
どうせなら面白がろうかと思います。
おわりに
今回はなぜギボンヌが縄文大工のJomonさんの活動を応援したいかについて書きました。
SDGsとかなんとかと、虹色のバッジをつけている人を電車の中でみかけます。
SDGsという言葉の形骸化を感じます。
それをやっておけば、企業として認められるからやっておこう、というニオイがプンプンします。
そんなウソくさい事をやって、なにか変わりますか?
ウソぽいのはウソなんですよ。
カタチだけなのはカタチだけなんですよ。
本気で主体的に動いているかどうかはみていたらわかります。
さて、あなたはどう考えるでしょうか。
最後までお読みくださりありがとうございます。
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